渓の記憶
大蛇尾川遡行記 (1998年、7、8月)(1999、8月
                                           遡行メンバー 、田辺周一・元・仁


  1998年〜99年にかけ、小一と小四の息子と出かけた栃木の険渓、美渓、大蛇尾川・珠玉のレポート。
                    
(98年8月、 栃木県北部豪雨災害によって源流部の遡行は99年となった)

  夏のある日、決して親が連れて行くことのないディズニーランドから、祖母達と帰ってきた息子達は浮か
  ない顔であった。

                 人ばかりで、木も森も虫も何もなかったよ ・・・・・・・ !


          
                           
大蛇尾川・奥二俣手前、ゴルジュを抜けて
           


PART 1

 
二人とも3歳の頃から、色々な渓に足跡を残してきたのだが、地元のこの渓、大蛇尾川を奥の二俣まで遡行
したことはなかった。そこで1998年夏、夏休みを利用して、小蛇尾、大蛇尾合流点から奥の二俣まで完全に遡行
することを計画したのだった。
行程が長く、釣りながらの遡行では子どもの足では到底一日では無理であるので、のんびりと区間を区切り何日
か掛け、歩くことにした。

 栃木県北部に位置する大蛇尾川は、1908Mの大佐飛山を源流とする、行程約10KMの渓流であり、やがては 
小蛇尾川と合流し、取水され、伏流水となって那珂川に吸収されて,,その短い流程を終える川である。私がなぜ
この川を選んだのかといえば平坦な川が多い県内の渓流の中で唯一といえるほどU字形状の、険しい谷である
からである。それだけにこの川は,手付かずの自然が残り、素晴らしい森と清流に満ちているのである。

 夏休みに入り梅雨明け間近の空を見上げつつ、二人の息子を伴って,里川に無くなった川の臭いを求めての
入渓となった。

 
 
                               
                  
サイズがないので手造りの渓流靴
                                            

7月23日、曇り。
極彩色のレジャーランドもいいだろうが、紺碧の空の下に広がる美しい流れは何物にも代えがたい。あいにくの
曇り空であるが、蝉時雨の別荘地を抜け、合流点前空き地に。(10:00)


   
   
     小蛇尾、大蛇尾合流・堰堤前                      大蛇尾川第一堰堤を越えた・広川原で


 今日は大蛇尾川最下流、小蛇尾川と大蛇尾川との合流点から第四堰堤までを遡行する。この間はゆっくり遡
行しても四時間あまりなので、のんびりと食事をする。流れが眼の前にあるとやはり気持ちが落ち着かず、食休
もそこそこに苦労して作った手作りのウエディングシューズを履かせ、合流点直下を渡渉する。ここから小蛇尾
川源流への山道を辿る。以前は合流点から川通しに歩き、約10Mほどの第一堰堤を高巻いたのだが、高巻け
た岩場も崩れ危険な状態なので小蛇尾川源流への山道から、大蛇尾川第一堰堤上部に下りるルートに代えた
のだった。尾根までの急登に汗が噴出し始めた頃、鞍部に着くが、休むまもなく、急斜面をロープを伝わり降り
る。
 例年ならば第一堰堤上から見る大蛇尾川は、伏流気味の細流が、広川原の中程を穏やかに流れている筈な
のに今年は何時になく雨が多く、太い流れが岩を噛んでいた。この辺りは両岸ともに険しく、特に右岸は垂壁に
近い岩場で形成されていて、落石が多い。



 3年前の夏、この岩場の大きな落石の上に、まだ温もりのあるカモシカの死体が横たわっていたことがある。
渓流釣りを長年やっていればそんな光景は珍しくもないのであるが、今しがた息耐えたといった状態の大型獣
の死体は初めてであったので、家に帰ってから、カモシカの話を息子達にすると自分達も見てみたいと言い出
した。
 一週間後の休日、二人の息子を伴ってその岩場に行ってみた。そこには大人であれば想像出来得る無残な
光景があった。カモシカの死体は、辺りに強烈な死臭を放ち、生前の形態を留めてはいなかった。ただ、辛うじ
て残っていた頭骨には、申し訳程度の肉皮があり、カモシカであることが認知できた。死体を見た息子達は言葉
を失いただその骸の前に立つ尽くした。それら断片が、形態を失い、物言わぬ塊となっても、命のはかなさ、危
うさを子供達に知らしめてくれたに違いなかった。

「お父さん、カモシカの死体があったのはこのへんだったよね」と3年前の光景を忘れていなかったとみえ、河原
を指さした。


              
 最初に来た美しい山女魚
 1998年
長男小4                     アルプスでヤマト岩魚をゲット 2005年(長男・高2)

 例年の流れと違い、広川原を饒舌に流れる水面に毛ばりを打つ。下流域は比較的に入り易いので、場あれ気
味であるが、小雨模様の性か、真夏の昼間にも関わらず小型の山女魚が盛んに毛ばりを追う。放流を繰り返し
ながら遡る。第二堰堤が近づくにつれ、谷は狭まる。岩場から堰堤を高巻き、ガレで埋めつくされんばかりの谷
筋を抜け第三堰堤に。ここの流れ出しで、今日一番の良型山女魚がくる。丸々と太った美しい山女魚である。早
速記念撮影をするべく、長男の手に委ねるが、やさしく掴むのでなかなか撮影ができない。ようよう撮影を終え、
山女魚はめまいを感じたかのようにユラユラ流れに帰っていった。
 第三堰堤は右岸を高巻く。淵や深瀬が連続する渓を釣っては放すが、入れ喰い状態が続く。次男は鉤を外す
度に、「大きくなって来い」と流れに戻す。
 やがて第四堰堤。ここは左岸の岩場を登り、堰堤上部に出るのであるが、本日はここまで。(15:00)

 帰路に着くが、帰りは次男の手作りウエディングシューズのフェルトがはがれ、泣きがはいってしまう。長男は
今年から何とか市販の靴が無理すれば履けるようになったのだが。 

                          早く大きくなれ!





 PART2 
 

 8月2日、曇り。

 
気象庁が梅雨明け宣言はしたもののいまにも空は泣き出しそうである。毎日はっきりしない天気が続き、渓
にいくべきか、否か、散々迷った末の午後3時、二人の息子を伴って家を出た。

 今回は7月23日に遡行を終えた第三堰堤上部に降り、谷にテントを張ってのビバークの予定なのだが、大蛇尾
中流域はU字状の谷で広川原は皆無であると同時に、落石が多くビバーク適地は殆どないといって良い。夜は
大抵落石の音で眼が覚めるような場所であるから、細心の注意が必要である。だが第三堰堤上部に下るべく大
蛇尾林道を走行中から、雲行きが怪しくなった。

大蛇尾林道は水線から優に200Mはある山腹を縫って走る林道である。その林道終点手前の落石の危険の無
い空き地にテントを張った。案の定、夜半から大雨になった。あの鍋の底のような谷で夜を迎えていたなら、流
れはともかく落石に肝を冷やしていたことだろう。そのうちあまりにいい加減なフライの張り方だったものだから、
下から浸水し始めた。 しぶしぶ外に出ると、満点の星が出たかと思うまもなく、強い雨に見舞われるような不思
議な夜であった。

 8月3日 曇り。

 朝起きると青空が、と書きたいところであるが、あいにく曇りである。こう天気が悪いと第五堰堤の高巻きが危
ぶまれるので、遡行するかどうか決心がつかない。大蛇尾川奥の二俣までで、今日が一番の難所をとおるから
だ。
ホールドはあるがほぼ垂直の15Mの岩場を登らなければならないからだ。濡れた岩場は危険なのでパスしたい
ところである。意を決し、天気の回復を真じつつ (8:00)出発。

 標高差200M。樹林帯を抜け、草つきをトラバースし、最後に出てくる傾斜のきつい100Mあまりのガレ場を下
る。途中長男が足を痛めたと言って顔をしかめた。今でこそ170cmは優に越えた長男であるが、小学四年の割
には小柄な長男が履いているのは妻用のウエディングシューズでも大きすぎるのであろうか。湿布薬を張ってや
ると元気がでたらしい。
 
 眼下に清々しい流れが見えてくると、釣り人は元気が出る。林道から40分ほどで渓に降り立つ。この辺りは両
岸が迫り、その圧縮された空を見上げると明るく、どうやら今日はなんとかもちそうである。これで心配の種がひ
とつへったのだが、心配ごとは、3日前に痛めた私の腰だけとなった。


   
         
 
朝の挨拶に来たカジカ                       朝もやの渓をわたる

水際で汗をぬぐい、渓の水でのどを潤していると、カジカが挨拶に顔を出す。私が一息入れている間に子供達
はすっかりカジカとコミニュケーションを済ませていたようだ。

 竿を出してまもなく、良型の山女魚も朝の挨拶に登場した。
「お父さん、どうする」と長男。そう聞いてくる所をみると、今日はキープし食べたいということなのだろう。二人は
焚火を囲みながらの時間が大好きで、渓魚を焼きながら山の会話が進むのである。焼きガラシの渓魚は特に
大好物なのであるが、親父から常日頃どんな命も大事なのだからと言い聞かされているので、最近はとんと口
に入ることがなくなってしまったった。そんな訳でまず持ち帰ることはないので、谷でのキャンプのときだけ、焚火
を囲みながら、各自一匹づつの渓魚を大事に食べるようになっていた。

 そんな兄貴の手の下を掻い潜り、次男坊はさっさと鉤を外し流れに戻してしまった。兄貴は弟を睨みつけたが、
弟は動じなかったが、それには彼なりの理由があった。
 先日、渓を遡行の際、吊り下がった藤ツルでターザンごっこをした際、どうやら新米の小鳥が作った巣だったら
しく、ツルをいじった影響で卵が落ちてしまった。割れた二つの卵を眼の前にして、揺すって遊んでいた次男は責
任を感じてか、しばらく落ち込んでしまったのだった。



   (次男坊のテンカラでの釣果)


    
    
第五堰堤にて・良型岩魚 (小一・1998年))28cm          栃木県内のある渓で(中ニ・2005年) 大岩魚43cm               

第四堰堤は、右岸の草つきを高巻く。堰堤上のプールに降り立つと、自然と気持ちが引き締まる。それはここか
ら大滝までは、この谷で一番人が入らない核心部だからだ。それだけに先行者さえなければ良い一日が過ごせ
る。しかし身体の小さい息子達には快適な一日とはいかないだろう。というのは渓の水量が平水の1.5倍は越え
ていて、流れの強いゴーロやゴルジェでは二人が難渋するのは明らかだが、軽量の息子達はスクラム渡渉でな
んとか渡りきっているようなので手を貸さずにいる。

 時折谷に日が差し込んで来るようになり、ひとまず安心で、この美渓で子供達と一日を満喫できそうだ。第五
堰堤流れ出しで良型の岩魚が来た。丸々と太った雄である。私はどちらかといえば山女魚を釣りたいのだが、
今日二匹目のこんな岩魚ならいつでも大歓迎だ。記念撮影をしてから堰堤の深みに戻っていった。
「さあ、ここを登らないと堰堤はこせないよ」と声をかけて見上げたのは20M近い岩場。この垂壁には、危なげな
トラロープが張られているが信用はできない。それより雨で濡れた岩にも注意が必要である。先に上ってザイル
を出、ブーリン結びで体を縛らせ一人づつ慎重に登らせた。次男は顔をこわばらせ「ビビッタッゼ」と言って上が
ってきたが、私がシッカリ手をつかんでやるとニッコリと笑った。

  
             
岩壁を登る

これでこの谷の難所はクリアだと緊張感が抜けた途端、誰からともなく「腹減った」の声が!
堰堤上河原で、昼飯にする。コッフェルで湯を沸かし、長男はレトルトおかゆ+牛丼。うまいうまいを連発。
「家でおかゆなんか喜んで食わないくせにと」カップ麺片手の弟にやじられるが「こういうところで喰うとなんでもう
まいと、いつもいっているのはお前だろう」と意に関しない。ともあれ食事が美味しいことは良いことだと、ザック
の食料を漁る。 
 さてこの先の渓はこのたに一番の景観だ。しっかり食べて休み 13:30分に出発する。

                  
               暗いゴルジュを                                 宝石のような


岩壁の狭間に、時折青空が見え隠れする。大岩の上に上り、越えてきたゴーロ帯を眺めると岩の間を縫って流
れる水は宝石のようだ。


  
                昼寝岩
                                金魚岩


 生憎の空模様だが、雲を割って射す陽光は、渓の美しさをより一層際立たせる。苦労して谷を遡行する釣人
の恩恵は、こんな所にあるんだよな、と妙に感心して、自分に言い聞かせる。景観の独り占めならぬ、三人占め
は、実に勿体無い。規則正しく岩を飛び越え、流れを裂きながら、ゴーロ帯を越えて行く。
 突然、前に行く子供達が歓声をあげた。目前の岩壁に次々に幾く筋もの滝が現れたからだ。いずれも大滝で
はないが、細い筋状の大小の滝である。ここからは私がかってに七滝と名づけた滝が続く。とりわけ大きな白い
大岩を乗り越えると、本日一番のポイントが見えてくる。

 二つの滝に挟まれた、深い滝壺の水しぶきの下には間違いなく大物が潜んでいる。過去何度か、このポイント
で糸を切られて辛酸を舐めているからだ。
 先を歩く子供達の行動を制止し、慎重にポイントに近づき、毛ばりを振り込む。


              
                                七滝の滝壺を探る


 「来たあー」と第一声をあげたのは下の子だった。その声に同調して、竿を煽ると、滝壺の主ならぬ、代理の
良型岩魚が水しぶきの中から飛び出した。残念ながら大物は居留守を使っているようで、埒があかないので粘
るのを辞めて先を急ぐ。
 大滝から落ちる滝音が、暗く巨大なゴルジュの口から聞こえてくると、今日の遡行は終止符を打つことになる。
そうして三人は、急斜面の尾根を喘ぎながら這い登るのであった。(15:00)                  

                                                          PARTVに続く