初めての尺岩魚長男

                     
           
         
     2002年・8月(小四、中一)福島Y川にて・・新聞掲載されました


        渓の記憶・大蛇尾川遡行記   PART V  
                                 1998年8月19日



 8月19日、帰宅してすぐ天気予報を見る。予想とおり、明日はお天気マーク。テレビに噛付く子供達を促し家
を出る。(20:00)

 今晩は大蛇尾林道終点に車を止め、車内泊とする。林道終点には辛うじてテントを張るスペースはあるのだ
が落石の危険があるので狭い車内での就寝となった。

 8月20日、晴れ時々曇り。(AM4:00)騒々しいラジオの音で眼が覚める。朝一の釣師がおいでのようだ。もう
少しラジオのボリュウムを下げてもらわないと、睡眠不足の脳みそには実に堪える。ウィークディーだからといっ
て, 谷が貸切だ、などと思う輩があまちゃんなのだ。昨今の渓流釣り人の発生は異常事態宣言なみだ。
お盆休みを避けて休みをとった連中が次々に到着する。

 朝の抜け駆け競争が終わった頃合いをみて、私達は朝飯のラーメンを啜った。

 「お父さん、人で一杯だね〜」
 「大丈夫だよ、テンカラは午後からの釣りだから」と長男。
渓流釣り人口が増えた昨今、手頃な渓は釣り人が押し寄せ、ここ大蛇尾の上流ですら4,5台の車が林道終点
を埋める。ただ釣り人の多くは自然を満喫するといったスタイルではなく、夜討ち朝駆けで慌しい釣行で済ませ
る釣師が多いのが現状である。


           
               いざ、大滝上部へ                           昔の管理道路が今は山道で取水口へと続く

 8月3日の遡行の大滝上部につなぐため、尾根を下る。
大滝下ゴルジュは深く、泳ガなければならないし、大滝にたどり着いても一枚岩の濡れた岩場は登れない。もし
大滝下を釣ろうとおもうなら、ゴルジュを下にみた左岸をトラバースし、ザイルを使って岩場を降りるしかない。
車止めから眺めの良い山道を楽しみながら30分あまり、明瞭な踏み跡が尾根を下っている場所からガレ場を
おりると, 気持ちの良い樹間の尾根歩きになるが半分ほどおりたところで踏み跡が錯綜し、なんどきてもこの辺
で迷ってしまう。老化現象か。右側は垂壁だし左の急斜面をトラバースしてみる。
 急斜面は、渓流シューズのフェルトでは滑るので、注意をしているそばから次男が10Mほど滑りおちた。
 危うく木に引っかかり、事なきを得たが、肝を冷やしてしまった。慌ててかけよると当人も分かっていたらしく、
絶壁がすぐ足元に、口を開けて待っていたからだ。

 赤みの差した次男を促し慎重に下る。しかしこの後も順調にいったわけでもなかった。
落石があり、上部をみると無神経に石を落としながら下ってくる釣り人がいる。(
あとでわかったのであるがこの
釣り人は某アクセス数の多い、テンカラHPの管理人であったが・・・・!)
 
「下に人がいるんだぞ〜」とすぐさま大声で自分達の存在をアピールする
(良い子はどんな所でも石は落とさないよう歩きましょう)。

 
すぐに<すいませ〜ん>の声が返ってきたが、下手すれば怪我ではすまない場面であった。

 (7:00)。大滝上部にたどり着く。オーバーハング気味の岩壁に10M程のザイルを出し、二人を大滝上部に下
ろす。
 渓水で顔を洗い、一息ついていると落石の主と思われる釣り人が申し訳なさそうに現れた。仕切りにあや
まるので気を良くした私は先行を譲ってしまった。

 
   
             フリクラごっこ                         大蛇尾の美しきネイティブ

 大滝から取水口までは危険な所もなく、谷も多少開けているのでのんびりいくことにする。
この先行者との時間差をつける為、手ごろ岩を見つけてフリークライミングごっこをする。しかしじっっと同じ場
所にいるのは居たたまれずすぐに歩き出してしまうのは、釣り人の性であろうか。
 本日の第一投目。何人の先行者がいるか分からないが、残したであろうポイントを丁寧に探るが、第六堰堤
まで木っ端山女魚と岩魚混じりで5匹の釣果は、まあまあかと、長男の弁。
 
 第六堰堤で先行者に追いついてしまったので、ここいらでお茶にすることに。飛ばして釣りますからといって先
行者は堰堤を高巻いて、消えていった。どうやら釣果はよろしくないらしい。私達以外の先行者がいるのだろう
か。良い機会なのでこの堰堤下でテンカラの練習をさせる。しばらく時間を潰し、堰堤上部を覗うと見通しのいい
谷には先行者の姿は見当たらない。ゆっくりと釣りのぼるが日が高くなった性もあるが、あまりに当たりがない
の、どうしても足が進む。カーブを曲がったところで、今度が違う釣り人にあってしまう。話を聞くと先ほど上がっ
てきた釣り人に先行を譲ったという。余裕の餌つり人のビクには良型岩魚が10数匹。な〜る程の納得で私たち
も先を譲ってもらい竿をだすが日は高く、渓魚はもうお昼ねの時間らしく、魚信はなかった。途中昼飯を食いゆっ
くりと遡行するも、大岩の点在する広川原の中を、細々と流れる大蛇尾も、取水口の手前で一端、吸い込まれ
てしまう。取水が見えてくれば本日の遡行は終了であるが、(13:00)谷からのきついのぼりが我々を待っている。



   
             第六堰堤で                              取水口



                                         
 PARTW
                                         
1999年8月2、3日

 
               
 1998年、那須地方を 襲った栃木県北部水害により、1999年に延期に            
                
  取水口から奥の二俣へ


              
                            奥の二俣付近広川原にて1999年、8月2、3日




 1998年、8月26日〜27日、那須地方を襲った未曾有の水害は、この地方史上稀に見る大災害となった。
想像を絶する雨の量は、多数の死傷者を出したばかりか、ライフラインさえ寸断し、この地方を孤立させてしまっ
た。
牛馬が海に流されたとか、悲しいかな妻の知人の詩人も、家ごと流失し、行方不明となった。多くは海に流され
たか土砂に埋もれたと想像された。著名なタレントさんの別荘が流されたとかで、話題で持ちきりになった。
 県内北部の河川は大打撃をうけたことは想像に難いが、月末に予定した、夏休みの最終を飾るべき、大蛇尾
源流部への入渓はどうなのだろうと、諦めきれずに大蛇尾林道取り付き、最終集落へと子供達をともなっていっ
てみた。

 
林道入り口の最終集落は林道から流れ出た土砂で敷地が埋まり、沫や崩壊寸前であった。道路は抉られ、
林道に入ることさえ無理であった。林道を歩いてという方法もあったが、これ程の光景を目にすれば、中止はや
むをえないことだった。それでも諦めきれず大蛇尾第一堰堤上におりてみると、見慣れた大蛇尾の風景が一変
し、土石流で押し流されたであろう川床が数Mは下がっていた。そうしてその変化した石原に太くやや濁りのある
流れがあった。
 「お父さん、あれはッ」と、子どもが指さす岩壁をみれば、変色した垂壁になぎ倒され、曲がった樹木が想像を
絶する高さに水線の痕跡があった。(1998年、8月30日)




 
1999年・8月2日(快晴)

 昨年の水害で中止となっていた奥二俣の遡行を、林道復旧工事の終了を合図に再開することにした。東沢、
西沢二俣にテントを張り二俣以遠をできるだけ覗いてみることにした。林道終点でスーパーで買った弁当で腹
ごしらえをしてから歩き出す。この日、千葉ナンバーの車が一台だけ。取水のつり橋まで子どもの足でも2時間
あまり。取水から釣らずに二俣2時間。休み1時間として合計5時間の予定である。今12:00であるから17:00
到着予定である
 到着してからサイト周りを釣るには丁度良い時間であろう。しかも二俣までに難所はちょっとしたゴルジュのみ。

 山道を40分ほど入った所にお地蔵さんがある。ここには関東18番札所と書いてあり、往復ともこのお地蔵さ
んには毎度お世話になっているが、今日は特に念入りに遡行安全祈願をする。帰りには又,よりますと言って子
供達は笑い、
18番札所を後にする。この辺の山道は遠望がきくわけでもなく。変化がなく退屈であるが、嫌気が
差す頃涼しい沢音が聞こえてくる。冷気に辺りが煙る。小気味良い音の正体は岩穴から流れ出す豊富な湧水で
ある。直径1Mの岩窟から清水が迸る。ここの水は実に美味しい。大量に持ち帰りたい欲求にかられて一度挑戦
したが、往復2時間はつらいものがあったのを覚えている。ここまで来れば取水口は目と鼻の先である。


            
          大蛇尾林道山道にある地蔵尊に安全祈願                       車止めから一時間ほどの湧水(絶品です)

 かって先人達が、この川にニジマスを放したのだという。その時期が大正時代とも戦前とも言われているが、ど
うなのだろうか。外来魚問題をここで論ずるつもりも無い。あえて言えるのは堂々と生き抜いてきた彼らに私は
賛辞を与えたいと思う。だからといって無秩序に放流をして良いといっているのではない。
 さて外来種のニジマスをなぜ放流したのか、その真意は定かではないが、今のように渓魚が渓魚が少なかっ
たわけでも無く、単に増殖目的で放したわけでも無いとは思うが、この魚種がどうなるのか興味があったのであ
ろう。
ただ私は、意味も無く外来種ということだけで毛嫌いする人がいるが、異国のそれも人知れぬ源流で、ひたむき
に命を育む魚達に感動せずにはいられない。
 大蛇尾に初めて足を踏み入れた30年ほど前、この渓の奥深く、2尺を越えるニジマスが入ると聞き、何度か
足を運んだものの精々40cm止まりの魚しかみていないが、渓であった釣り人とその話題になると、化けものは
いなくなったねの声しか聞かなくなった。その伝説を守る為、リリースするように心がけている。(今回の釣行でも
岩魚ばかりでニジマスは一匹しか釣れず、減少の一途を辿っているように思われる)

            
          
道中にある岩壁                       岩を噛むゴルジュ(今年は水が多い)

 釣りながらの遡行ではないので私はのんびりと歩くが、今年は水量が多く、子供達は気が抜けない。私はよほ
どことがない限り手を出さないが、寄ると触ると喧嘩ばかりしている二人でも、軽量を補う為には、スクラムを組ん
で助け合わなければないのはわかっているらしい。ゴルジュを抜けると穏やかな流れになる。二俣までこののん
びりとした流れと付き合うこと30分。くだんの千葉ナンバーの主らしい黄色いテントが見える。以前より良いサイ
トがないようでサイト探しに難渋する。私達はその大型テントから上流にわずかばかりの平地を見つけ整備して
小さなツエルトを張った。小さいの二人と私だからツエルトでもなんとか眠れるだろう。家でリハーサル済みであ
るから。

 18:00 山陰に日が沈む頃、二俣の方から大型テントの住人が帰ってきた。釣果を聞くと「まあまあ」とのこと。
辺りが暗くなり、テンカラのお時間がきたのでテン場の前に竿を出す。その間に子供達に薪集めを頼んでおく。
出るのは岩魚ばかりでニジマスは一向に出ない。3年ほど前私が独りできた夕刻、40cmを頭に出たのはニジ
マスばかりだったのだが・・・・。
 しかもキープサイズに中々届かない。先ほどの人たちが散々やったのだから仕方がないが、人数分には足り
ないがなんとか晩のおかず用に2匹キープする。
満天の星空の下、親子三人、ここ数年体調の優れぬカミさんの分まで満喫した。

   
                  焚火を囲む                                      朝のテントサイト

  
8月3日、5:00.  
          
  一人そっと起き出し、二俣から上流を釣り登る。以前から西沢は悪水で魚は棲まないと聞いていたので今ま
で竿を出したことがなかったので、あえて西沢を釣る。合流点からすぐ、待望のニジマス25cmが出る。しかしニ
ジマスは激減しているようだ。以前はたわいも無く釣れた物だがこれほど釣れないとはおもいもよらなかった。次
のポイントで良型の岩魚が出た。しかし渓相は良いのだが岩が赤茶け、およそ100メートル位で全く当りが無く
なってしまったから、悪水の話は本当らしい。この辺りで釣りを諦めテントに戻ることにする。

 「ニジマスきれいだね」
 もうすでに起きて岩の上から水面を覗いていた下の子が、嬉しそうに言った。
 「この魚がお父さんが話していた、源流のニジマスなんだ」と上の子。
 「そうだよ、ニジマスという魚は、普通源流部には居ないし、日本の川には棲んでいない魚なんだよ、だからこ
れは  昔人口的に放された生き物なんだ」
 「それにしてもこんな上流で育つなんてすごいよね」
 二人は目を輝かせて頷いた。

    
           大蛇尾のニジマス                         二俣にて

 早々と朝食を済ませ、三人で東沢を釣ることにする。子供達になんとかニジマスを釣らせたいと考えたが、樹
木の生い茂る七滝への渓は毛ばりの振込みには子供達では無理であった。まあまあの岩魚が次々にでるので
あるがニジマスはでない。前回来た時はニジマスばかりであったが、釣り切られてしまったのだろうか。中流、下
流でも釣れたニジマスも、一番魚影が濃いと思われた源流域でも、この状態では絶対数が減り、その命脈は今
や風前の灯火と思わざるを得ないのかもしれない。

 東沢の七滝を3つ目まで登り、当りの切れたところで、私達は東沢を後にした。

                                                         終わり