幻の二人展  

   (田中一村&田中徳太郎) 二人の田中作品展
      (日本画)      (写真) 




                                    
              田中徳太郎写真集「しらさぎ」(講談社)を見る一村



   1977年7月の末、ひょっこり笹倉が栃木に訪ねてきた。
  宮崎氏からの頼まれごとがあったからだ。       
  この頃宮崎氏は、シーサイドホテルでこのホテルの支配人をしており、ロビーでの展覧会を企画し
  たらしいのだ。
  私の先生である田中徳太郎は、過去の人になりつつあったが、腐っても鯛というか、とりあえず写真
  協会年度賞を、土門拳氏についで受賞しているくらいだから、とか何とか笹倉は口篭もって言ってい
  たが、とにかくホテルで一村さんと我が師匠とのジョイント展を、なんとかやれないか打診してもらいた
  い、そんな趣旨の話であった。     
  正直いって当時の一村はほとんど無名であった。落ちぶれたとはいえ、少なくとも徳さんの方がメジ
  ャーだったから、客は呼べると宮崎さんは考えたのだと思う。現在の一村の知名度と徳さんを比べれ
  ば逆転してしまったのは言うまでも無いが、国内での一村の評価に反して、我が師匠の世界での評
  価は高く、各国の美術館、古文書館などのコレクションは、日本の写真家の中でも抜きん出ていると
  おもわれる。                            
                            
  本格的に写真を40歳から始め、はじめて2年ほどで高い評価を受けた。しかも過去の実績すらない
  無名のアマチャアが、たった10年目にして日本写真協会年度賞を手にしたのだから、いかに徳さんの
  写真の質が、写真界で無視出来得ぬほど高かったか想像できる。                                        
  自分の師匠ではあるが、写真の技術的なことははるかに私の方が熟知していたし、成り上がり的発想
  で、嫌になることが多かった人でもある。ある日突然
しらさぎという鳥の虜になり、神が乗り移ったかの
  如く、写真をとりはじめたらしい。                                                 
  30メートル近い櫓を建てたり、当時は市販されていなかった1500ミリの超望遠レンズを作らせたり
  、この空飛ぶ鳥に近づきたいが為、狂人のようだったらしい。おそらく家族は多いに迷惑だったはず
  だ。                         

  私が田中徳太郎を知ったのは、NHKのテレビ番組「ある人生」という番組であった。中学生の時だっ
  たと思う。
  前の週に放映された「軍鶏師」に感動し、次の週に放映されたのが、田中徳太郎のしらさぎの撮影に執
  念を燃やす写真家の話であった。それが我が師匠の徳さんであった。その狂気とも思える言動は、僕の
  記憶の中に定着し忘れることはなかった。小学生の頃からカメラをいじり、中学の時、決して裕福でな
  い食うや食わずの家計から、母が月賦で買ってくれたカメラで修学旅行ではシャッターを切った                         
  高校では写真部にも在籍した。二十歳を過ぎ、やっと買った一眼レフで、知らぬ間に白鷺なる鳥を追い
  かけ自転車であちこちでかけるのだった。そんな経緯をある日、先生に手紙を書いた。                    
                                     
   手紙を出したのがきっかけで、畑違いの大学を卒業した私は、請われるままに助手になった。寝起きを
  共にした二年間、折に触れロケの手伝いもした。ナンセンスで単純、こんな人がどうして素晴らしい作品
  を創れるのか信じられなかった。当人の徳さんでさえ、口にするのは先祖のおかげだ、

  「僕みたいな頭の悪い、才能も無い人間に、こんな写真が撮れるのはそれ以外はナイヨ!」

  が口癖であった。まさにその通りだ  と私も思っているのである。
         

 



    私は取材をかねて一村に会いに笹倉と共に奄美にいくことにした。その途中浦和の先生宅を訪ねた。        
  落ちぶれたとはいえ、一応我が徳さんはプライドがあるのですぐにウ
ンとは言わないだろうが奄美に行く
  前によることにした。案の定、二つ返事は聞けなかったが、宮崎さんと一村さんに見せるために自分の
  写真集を私たちに託した。又、嬉しいことに餞別を頂いた。この後私たちは手作りのキャンピングカーに
  乗り、陸路を走り、鹿児島に車を置き、航路奄美へと渡ったのであった。                                      
                                      
       これは1977年8月初旬のことであるが、この二人展は一村の死で幻となった。 
  

   

  田中徳太郎
しらさぎ」から オリジナルプリント


                               


                                  


                                オリジナルプリント(ひとりもの)


                                              


                                                   

田中徳太郎 について

        1909   1歳  (明治42年)   埼玉県幸手町に生まれる
        1949   40歳            国鉄職員(在職24年)を退職する
        1954   45歳            浦和市郊外 野田の鷺山のしらさぎを撮りり始める
        1956   47歳            諸外国のカメラ誌の紹介、タイムライフ誌等
        1958   49歳            エドワードスタイケン氏に推挙され、ニューヨーク、
                              メトロポリタン美術館にコレクション
        1961   52歳 (昭和36年)   フランスモンペリエ展にて文部大臣賞
                              写真協会年度賞受賞、前年度は土門拳氏
                              イタリア、南アフリカ、アメリカ、チェコ、台湾、ドイツ等で展示
        1967   58歳 (昭和42年)   アメリカ ワシントン スミソニヤン博物館にて3ヶ月作品展
                                             東京国立博物館 1ヶ月作品展
        1970   61歳 (昭和45年)   アメリカ ハワイ、アリゾナ、カリフォルニア大学 寄贈
        1981   72歳 (昭和56年)   フランス国立文書館に50点コレクション
        1989   80歳 (平成元年)     胃がんで逝去      

         

                    

                       1979年 長野県小布施町にて
                           
PHOTO BY TANABE
  
                                    






                        関連図書







               


   「神を描いた男・田中一村」・小林照幸著(中央公論社)の本の寄せ書き

 
  人生に勇気を教えてくれた 目を覚ましてくれた一村さん

                                        宮崎鐵太郎
                                             富子

   
失われた美しさを求めて                        笹倉慶久

   
限りなく遠くを見つめて歩いた人                    江田真治

   
ニルヤに近い島 奄美                         田辺周一



 9回・田中一村会 総会・記念講演会 

     2004年, 9月5日 (日) 午後1時より 栃木市 旭町の 一村の菩提寺満福寺にて
     記念講演会がおこなわれた。

       講師は 淑徳大学教授湯原かの子
           「絵の中の魂 評伝・田中一村」の著者

            主な著書   
       
       1988 「カミーユ・コローデル」
       1995 「ゴーギャン 芸術家・楽園・イブ」
       2001 「絵の中の魂、評伝・田中一村」
       2003 「高村光太郎、智恵子と遊ぶ幻の生」


     演題は「南島を描いた画家 ゴーギャンと田中一村」
   
     二人とも亜熱帯の自然をモチーフに
     ゴーギャンは奔放に。
     一村はストイックなまでな生き方を選んだ。
     共通するものは亜熱帯の自然と神の存在を意識
     しながらの絵との格闘の人生であったということだろう。

    この日の聴講者の中にダチュラとアカショウビンの所有者であり
    一村の親戚筋にもあたり、女性では唯一スポンサードしていた
    人物の菊池あい子さんの親戚の方が一村の未発表の絵をニ幅
    持参し、会場で公開された。

         

                 湯原かの子氏
                


             





  
                            


               会場で公開された一村作 2点



     あの画家に会いたい・個人美術館 ・ 大竹昭子著

 
 ノンフィクション・エッセイスト・フォトジャアナリストと活躍中の大竹昭子氏が4,5年前に
各地にある個人美術館を紹介し、連載していたものを一冊の本にまとめました。
 発売は25日、新潮社からです。
 17人の画家と、その美術館を紹介しており、トリには田中一村が、紹介されておりますので、
 興味のあるかたはどうぞ。